先日、投稿いただいた記事にドッジボールの話がありました。
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「今日ドッジボールをしました。ほぼよけました。
あとでおもえば自分がよわむしなのがわかりました。
だけどよけたから1回もあたりませんでした。楽しかったです。」
楽しかった日常の一コマにあった、「よわむし」というひとことが、
オヤジの胸をついた。
ムスコといっしょにサッカーやラグビーをするようになって、
つい力が入りすぎる時がある。
本来楽しいのが一番なのだけど、ついついできないことが目に付いて、
不甲斐なさから尻をたたいてしまう。
自分がずっと運動部で育ってきたせいか、できるまで頑張れ、逃げるな、勝負しろ、
といったスポーツに過剰な頑張りを強要してしまいがちだ。
スポーツは結果を求めるからこそ、そのプロセスに価値が生まれる
というオヤジの考えに変わりはない。
だけど、ムスコとの間にその価値観の合意はできていないし、
彼にとってドッジボールは頑張る以前に楽しいものであるはずだ。
なのに、ずっとボールをよけ続けた自分を弱虫だと思わせてしまったのは、
頑張れ、逃げるな、勝負しろという、日ごろの親の言動によるものなのかもしれない。
オヤジの勝手な思いからの言動が、ムスコの自由な遊びまで縛っているのかもしれない。
こちらの記事です。http://otonto.sakura.ne.jp/?p=10756
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そうか、同じようなことあったなあ、、、と。
昔、ドッジボールのことで自分も気づいたことがあるってことを思い出しました。
私は、投稿いただいたオトンほど体育会系ではないので、
できるまで頑張れ、逃げるな、勝負しろ、といったことは
言ってこなかったと思うんですが、
でも、ドッジボールってのは、内野にいたら投げられてきたボールを受けてナンボ。
ボールを自分が受けて、相手に当ててこそ、ドッジボールの醍醐味だと思っていました。
そんな中、長男が小学生低学年のある日のことです。
ドッジボールのことをすごく楽しそうに話をしていたんです。
「今日のドッジボール、超楽しかったんだ」と。
話を聞いていると、ボールをとにかくよけて逃げてかわして、
「オレだけ最後まで残ったんだ」と。
「2試合して2試合ともオレ残ったんだ」と。
「ボール受けなかったの?」
「うん!!!!」
「ボール触らなかったの?」
「おう!」(ガッツポーズ)
おお、こういう楽しみ方もあるんだと気 づかされました。
ウチの長男のドッジボールを想像すると、
おそらくウヒョウヒョ言いながら中を走りまわっていたんだろうなと。
ドッジボールは、ボールを受けて相手に当ててナンボ。の価値観しかなかったオトンでしたが、
こういう風に楽しめる彼を、とても羨ましく思えたことを覚えています。
世の中には自分の価値観を超えた楽しみ方がわんさかとある。
そのことを親自身が認識しないと、子どもを自分の価値観に
縛り付けることになるかもと、私もその時思ったんですね。
今回の投稿を読んで思い出しました。
ちなみに次男は、
ドッジボールは受けてナンボ、当ててナンボで楽しんでいます笑。

写真:ベネッセ教育情報サイト みんなで一緒にドッジボール第1回「ドッジング」
ちなみに、よける技のことを「ドッジング」というそうです。