oton+to(オトント) > オトンの流儀とか ビジネスマン編 > 「これはかっこ悪いぞ」と、自分に言い聞かせています。小さい頃「カッコよく生きろ」と親から言われていたのが僕のベースです。
「これはかっこ悪いぞ」と、自分に言い聞かせています。小さい頃「カッコよく生きろ」と親から言われていたのが僕のベースです。
保険会社勤務 金沢景敏さん
家族構成:妻、娘(7歳)、息子(5歳)、息子(1歳)
【オトンの流儀とか】今回は、3人のお子さんのオトン、金沢景敏さん。上のお子さんが2歳の時、それまでお勤めだったテレビ局からプルデンシャル生命に転職され、固定給ではないフルコミッションの世界へ。奥さまからの反対があるかと思いきや、むしろ奥さまが出したある条件で、金沢さんが腹を括らされることに。そしてインタビューで何度も出てきた「自分に言い聞かせる」という言葉。日々のあらゆる場面で二者択一を繰り返されているそうです。カッコよく生きるために。
聞き手:oton+to編集長 布施太朗
第1回名刺が変わった瞬間に、人の態度が180度変わりました。それは驚きでした。
―よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
―金沢さんは、今、プルデンシャル生命保険で、前職が民放キー局なんですね。
はい。そこではすごく楽しい思いをさせていただいたんですが、このままだと自分は会社の看板で生きていくことになると思ったんです。会社の看板がなくなったらどうなるんだろう、人生トータルで考えた時に自分にとっていいことってなんだと考えて、”えいっ!”て辞めました。32歳の時です。
―辞められた時、お子さんは?
子どもがひとりいました。
―奥様はなんと?
むしろ、僕が嫁に腹を括らされました。東京の世田谷に土地を買って何千万ものローンを抱えて、子どもがひとり。転職先は保険会社で固定給なしのフルコミッション。普通の女性なら嫁ブロックが発動すると思うんです。今のままでいいじゃないって。でも、嫁に「いいの?」って訊いたら、「もう決めてるんでしょ」って。でも条件があるというんです。
―ほう、どんな条件だったんですか?
「2人目の子どもを作れ」でした。僕びっくりして、「それはリスクやぞ、固定給もないし」って言ったら「覚悟決まるやん」と言われました。だから、嫁に腹を括らされたんです。で、2人目が転職1年目に生まれました。8月7日、プルデンシャル生命保険の創始者ドライデンさんと同じ誕生日です。それで僕はスイッチが入りました。絶対ドライデンを獲るぞと(個人保険契約第1位のタイトルをドライデンアワードといいます)。それで、1年間の最終日で逆転したんです。自分は獲れると言い聞かせて諦めなかったんです。自分が成功すれば、嫁は“あげまん”になるな、だったら俺が“あげまん”にしようと。嫁は、僕をそんなふうに思わせてくれた人なので、嫁のおかげなんです。
―素敵ですね。
それで僕、びっくりするくらい嫁と電話とかメールをするんです。1日に20回以上しています。
―へーっ!何を話されるんですか?
意味もないことばっかりですけど(笑)。特に転職してから増えました。明日の準備を絶対前日にすると決めたので、お酒をやめました。相手の時間を良い時間にしたいと思うようになったので。お酒を飲むと明日の準備をしない言い訳を作るってことが自分で分かっていますから。もうお酒は一滴も飲みません。2次会にも絶対行きません。そして絶対割り勘。コンパは絶対にしない。時間の無駄なので。
―相手の時間をいい時間にしたいからお酒をやめた。
テレビ局にいた時は、二日酔いでも寝坊しても人は会ってくれたんです。酒臭くてもネタになるような業界なので。今思うとどこかで傲慢な自分がいたと思います。テレビに出してあげる、取材してあげるという気持ちがその時は意識していなくても絶対どこかにあったと思うんです。だからちやほやしてくれるし名刺交換する時も気持ち良かったんです。それがプルデンシャルという保険の営業マンの名刺に変わった瞬間に、人の態度が180度変わりましたから。それは驚きでした。
―どんなことを実感されましたか?
「今度、お茶でも」と僕が言うと、「目的はなんですか?」と。電話をしても「保険とかもういいんで」とかメールも返信すら来ないとか、名刺も本当に雑に扱われるんです。初対面の人の対応がもう全然違います。今までの仕事関係で付き合っていた方も、転職してから電話に出てくれなくなったりということもありましたから。保険を売り込まれると思って。でも、そういう状況になって初めて、人が会ってくださるということを僕は心の底から嬉しいと思えるようになりました。そして、この人に会えたのはあの人のおかげだって。テレビ局の時は名刺さえあれば誰もが会ってくれたので、テレビ局の光に照らされて僕が光っていたんです。でも、その光がなくなった時、自分には何もないって見せつけられたんです。だから自分で小さくても良いから何か光を出して照らしていきたいと思うようになりました。まずは自分の家族に対して、そしてお客様。自分の好きな方々に自分が何か照らしたいと。だったら誰よりも働いて、みんなが喜ぶことをしようと。それがお酒やめたりということに繋がっていったんです。
―人が会ってくれること自体に喜びと感謝ですね。
人が電話に出てくれない、メールも返してくれないという経験は、これまでの人生で経験がなかったことなので、すごくつらかった時期もありました。だから嫁にめちゃくちゃ電話とメールをするようになったんです。この地球上で必ず電話に出てくれる人が一人でもいるということが救いでした。助けられました。器が大きい奥さんなんです。だって、小さい子どもがいてお腹に2人目の子がいて、僕は忙しく仕事をしていて家で過ごす時間はとても短いのに。
―お休みの日は?
以前はよく土日も動き回っていたので、家族と一緒に車で行って、僕が打ち合わせをしている間、近くの公園なんかで遊んでもらって、また車で移動して、、、。そうやって家族の時間を作っていました。奥さんは喜んで付き合ってくれていましたね。今は僕、家に人を呼ぶことが多いです。家族との時間を大切にしたいのですが、僕は人と会うのが仕事なので、だったらということで色々な家族を呼ぼうと。その時も奥さんはちゃんともてなしてくれます。でも子どもがいたらゆっくり食べられないから、隣の部屋にマットを敷いてベビーシッターを頼んで保育所みたいにしたんです。家族ぐるみの付き合いというのは多いです。巻き込んじゃうんです。
―どんな子ども時代を過ごされてきたんですか?
僕、生い立ちがちょっと変わっていてですね、親父とオカンは高卒ヤンキー、姉も高卒ヤンキーなんです。大阪のやんちゃな地域で。僕は小さい頃から勉強しろと言われたことはなくて、ケンカに負けるなと言われて育ったんです。でも自分からは手を出すな、弱い者いじめはするな、女の子には手を出すな。それはカッコ悪いと言われたんですね。親にはカッコよく生きろとよく言われました。それが僕のベースです。
―ずっとその地元で育ったんですか?
幼稚園の時に、先生がアドバイスをしてくれたんです。このまま地元の小学校に進むと悪い道に行ってしまうから、違う学校に行かせたほうがいいと。その頃、僕はヤクザの子どもと仲が良かったので。それで僕は私立に行ったんです。親父は自営業で、その頃はバブルで景気が良かったので、近畿大学の附属小学校に入れてくれました。ここは大学までエスカレーター式なのですが、今度は小学校の先生が、中学受験を勧めてくれたんです。そして塾にも行って、東大寺学園という名門私立に進学することになりました。
―ほう!それで中学高校と東大寺で、その後は?
僕、中高で野球部だったんです。全然勉強せずに京大を受験して落ちました。それで浪人をしたんですが、浪人中、ずっと京大模試でA判定が出ていたんです。それで調子に乗っていたらまた京大に落ちました。2回京大受験に落ちたんです。そこで神様がいるって分かったんです。成績良くても遊んでいるやつはみんな落ちるんですね。成績悪くてもコツコツやっているやつは合格していました。「神様ちゃんと見てるわ」と。自分のことを本当にカッコ悪いと思いました。そして早稲田に行きました。
―東京生活が始まったんですね。
はい。早稲田でアメフト部に入って、チアリーダーの彼女が出来たりして、東京での生活を満喫していた1年生の11月、実家の事業が自己破産したんです。お金がなくなってしまいました。母が電話をしてきて「こっちはどないかするから、あんたは帰ってきたらあかん」と。でも僕、理系学部なので学費が年間160万円、それにアメフト部、生活費、どう考えてもそんなお金ないんです。でもそこで人生初の大きな決断が出来ました。
―大学1年生で人生初の決断?
早稲田を辞めました。12月に大阪に戻ったんです。そして京大に行くって決心をしました。入試までは約2ヶ月でしたが、この2ヶ月は本気で受験勉強をして合格しました。合格できたことで、人って腹を括ったらなんとかなるんだっていうことが分かりました。
―確かに腹を括ったんですね。
自己破産して家のものも無くなる、お金も無くなる、本当に悲惨な状況でしたが、「これは、受験勉強を舐めていた自分と京大に、もう1回リベンジするチャンスをもらえたんだ」と思ったんです。
―プラスに捉える力ですね。
僕、自分に言い聞かせて、プラスに捉え直す修正がすごくあるんです。母親が超前向きな人で、その影響があるかもしれません。その母親には「あんたはちゃんとやればなんでも出来る天才や」ってずっと言われていて、自分がやることをちゃんとやれば結果が出る。僕も素直にそれを信じていました。
後編に続きます。
今回の"オトン"なビジネスマンは、
金沢景敏さん
プルデンシャル生命保険株式会社家族構成:妻、娘(7歳)、息子(5歳)、息子(1歳)
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