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子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない

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芸人、ミュージシャン、小説家 佐賀県&東京都 はなわさん
オトンの流儀とか
アーティスト編 Vol.08

僕、息子の背中を見て育ちました。【前編】

芸人、ミュージシャン、小説家 佐賀県&東京都 はなわさん

芸人、ミュージシャン、小説家 佐賀県&東京都 はなわさん

家族構成:妻、息子(高2)、息子(中1)、息子(小1)

聞き手:oton+to編集長 布施太朗 写真:芳山勇人

第1回息子が頑張っている姿を見ると、俺も頑張んなきゃって。長男のおかげなんです。僕は。

―そうなっていくのは、ご自身でも分かりながら?

はい。何がやりたいのか、何が楽しいのかって思いながらやっちゃっていました。そんな中、仕事が減ってくるという時期が来るんですよ。でも世間というのは僕のことを別に注目していないから「ずっと変わらないよね」なんて言われるんですけど。僕の中では相当な動きがあるんです。仕事がないという時期になった時でも、野心はあるんです。クソっていう気持ちも。タレントさんとか芸人さんって、そこがないと絶対ダメだと思うんです。でもね、ずっと忙しいままだったら、たぶん家族と一緒にいることもできなかったと思うんですが。

―お仕事が減った頃、上の子は幾つくらいですか?

佐賀県が2003年。その時は3歳くらいでした。仕事が落ち着いてちゃった時期は長男が小学校の4〜5年ですね。次男坊が小学校に上がるくらいで、三男が生まれたぐらいかな。仕事がなかったその頃が家族と1番一緒にいることができた時期なんです。そういう意味でいうとラッキーでしたね。仕事のことは焦っていましたけど。「やべえ」って。

―その時はツラかったですか?

このまま終わるのは本当にイヤだって思っていました。九州に里帰りして、佐賀のタレントさんとしてやっていくのもいいんじゃないかって言われたりもしましたけど、それは絶対イヤでした。野心が常にあって、自分の能力や可能性を信じていましたし。だから歌も作り続けていました。

はなわさん

―お仕事と家庭は切り分けることが出来ていましたか?

はい。そこはそうでした。しっかり家族とは向き合えていたと思います。僕の場合は柔道との出会いは大きかったんです。オリンピック金メダリストの吉田秀彦さんと仕事で仲良くなって、彼と飲みに言った時に子どもの話になったんです。「ウチの子がデカくて」いう話をしていたら「柔道やれば痩せるよ」「マジですか?」「1回見学においでよ」「分かりました!」っていうことで、当時あった吉田道場に行ったんです。嫁と長男と3人で。長男坊はすごくシャイな性格なので、自分でやりたいっていうようなことがそれまでなかったんですが、「柔道やりたい」って言ったんです。小3の時。始めたら1年後に東京チャンピオンになったんです。ただ、1年で10kg増えました。痩せるっていわれて始めたのに(笑)。

―あははは!でもすごいですね!

それで強化選手に選ばれて、息子が気持ち的に追い込まれているところも見るわけですよ。それまでは自分のことばっかり考えていたんです。でも息子が頑張っている姿を見ると、自分より子どもを応援する気持ちになってきましてね。子どもが頑張っている姿を見て、嫁も頑張るんです。そういうのを見て、俺も頑張んなきゃって。長男のおかげなんです。僕は。

―それまでは?

家のことは全部嫁にまかせて、僕は仕事をしてという感じでした。

―【後編】「長男坊。背も高いし100kg以上あるんですが、かわいいからたまに一緒に寝ます。」に続きます。

【後編】「長男坊。背も高いし100kg以上あるんですが、かわいいからたまに一緒に寝ます。」に続きます。

はなわさん

今回の"オトン"なアーティストは、

はなわさん

佐賀県出身。
家族構成:妻、息子(高2)、息子(中1)、息子(小1)

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父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない。

布施太朗・著¥1,300(税抜)

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