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子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない

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子どもと会話

2013.9.11

はっぴーばーすでい パパさん

はぴばーすでい とぅ ゆー

はぴばーすでい とぅ ゆー

はっぴばーすでい でぃあ パーパさーん

はっぴばーすでい とぅ ゆー

 

おめとー!

 

娘を寝かせようとした私の誕生日前夜に、当時2歳半の娘が、

保育園で覚えた歌を舌っ足らずながら完璧に歌ってくれました。

1年半前のことです。

 

娘は4歳になり、今では私に説教するほど口が達者です。

10年後には中学生、口生意気になるんだろうな。

「お父さんの下着と一緒に洗濯しないで」

なんて言われていたかも、しれません。

 

実際は、その日が来ることはありません。

もう、一緒に住んでいないから。

 

 

離婚したのは1年ちょっと前。

今では、2、3週間に一度娘に会い、1泊2泊させて送っていきます。

迎えに行くと、待ち合わせの改札で母親と一緒に待っていて、

私を見つけると、「パーパ―!」と叫んで、飛びついてきます。

 

この瞬間、なんだかいつもホッとします。

あぁ、私は父親として愛されているのだな。

 

 

この子は、私たち元夫婦にとって待望の子でした。

お腹に宿る前から、名前を考えたり、どんな風になって欲しいか、

どう育てるか、なんてことを言っていたほどでした。

妊娠が分かったその時は、心から祝福しました。

生まれてきたときには、愛おしく、娘を抱き上げた時には一生守って

あげたいと思いました。

恐らく、ほとんどの父親というものは、そうではないでしょうか。

 

 

先にお伝えすると、私は決して良い父親ではありません。

一緒に暮らしている時分は、好き勝手やっていましたし、

妻子にひどい対応をしたこともあります。

 

それでも、我が子に対して疎ましく思ったことは一度もありません。

親にとって子どもは、替えのない宝であり幸福です。

 

それと同時に、子どもにとっての親も、絶対的な存在です。

母親はもちろん父親も、小さな子どもの世界の中心にいる存在です。

 

 

離婚を決めた時、親権、戸籍、養育権、全てを母親に渡しました。

その瞬間に、私は血縁者ではあるが、書類上から子どもの父親であると

いう権利とともに公的機関からの認知が、ほぼ消えました。

 

諍い少なく離婚しましたが、この部分はさすがに揉めました。

しかし、夫婦間で争って泥沼になることで、親子間も実質的にも消えて

しまうことは避けるべきだと判断しました。

 

この選択は正しかったと思っています。

 

 

妻子が家を出ていく前夜、当時娘は3歳になったばかりでしたが、

私が一緒に住めなくなることをちゃんと伝えておかねばと思い、

娘を寝かせる前に寝室のドアを閉め、娘を布団の上に座らせました。

 

ちょうど、「はっぴーばーすでい パパさん」を歌ってもらった晩と

同じ場所で同じように向き合いました。

 

娘に、ちゃんと伝えなくては。

明日から、この子は私がいないことを知る。

誤魔化さずに、ちゃんと伝えなくては。

 

でも、なかなか言葉が出てきません。

絞り出すように、

「パパはね、もう一緒に住めなくなっちゃったんだ。」

「ごめんね。」

と、これしか言えず、泣き崩れてしまいました。

 

やっと言葉を理解し、歌を覚えて、ちょっとずつ喋れる程度の子ども

からすると、何がなんだかわからないはずですよね。

 

しかし、娘から出た言葉は、全てが分かっているかのようでした。

いや、感じ取っていたのでしょうね。

 

「いいよ。大丈夫だよ。」

「わたしもごめんね。」

 

見たこともないような優しい顔で、私を慰めるのです。

嗚咽して泣き始めてしまった私の頭を3歳の子どもが撫でるのです。

もう、どっちが大人かわかりませんよね。。

 

 

子どもが悪いなんてことは、一つもない。

子どもがいる離婚は、子どもにとっての不幸だ。

全て親の責任。

悪いのは自分で、子供からかけがえのない幸せを奪ったのだ。

 

そう考えていることも含めて、子どもは全てを感じ取っちゃっていたのです。

そして、そのことを後悔し、嘆き悲しんでいる私に慈愛の心で応じたのです。

 

 

夫婦喧嘩をするころから、子どもは今まで出ていなかったアレルギー

が出たり、体調を崩すことが多くなりました。

赤ん坊でもそういうことはあるようです。

両親が争っている状態を修復しようと、とても良い子になるか、

手のかかる悪い子になってしまうらしいです。

それは、子どもの本能で両親の目が自分に向くように適応してしまうようです。

 

きっと、ずっと前から感じていたものがあるのでしょうね。

 

 

私は、紙の上では子どもの父親として認められていません。

親権が0対100になる日本の法律上では、何の権利もありません。

唯一残っているのは、養育費を払って良いという権利だけです。

 

ただ、私にとって、紙の上での父親かそうでないかは、意味を持ちません。

なぜなら、どんなに小さくても子どもは父親を感じ取ることができ、

親子の時を重ねているのだから。

 

私は、この子の父親です。

誰に何と言われても、私とこの子の間には、親子であることは証明する

必要がないくらい、繋がりが既にあるからです。

 

 

半年前、誕生日に元妻の携帯から電話がかかってきました。

電話に出ると、娘が

「パパ―、お誕生日おめでとう」

と言ってくれます。

元妻が気を遣って、かけてきてくれたのですが、昨年の誕生日を思い出して

うれしくなりました。

 

 

子どもと一緒に住めない時点で、私はダメな父親です。

私は、自分がやりたいことは、続けるでしょう。

しかし、一緒に住めないという以外、娘には父がいて、望んだ道を選べる

ようにすることは、できます。

 

 

いつまで、一緒に寝てくれるかな。お風呂入ってくれるかな。

パパと遊びたいって言ってくれるかな。

パパのご飯おいしいって言ってくれるかな。

きっと、いつかは、言わなくなっちゃうんだろうな。

 

言わなくなったって、おれはおまえのオトンだぞ。

 

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